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遺跡
神社
印鐸神社(山脇)

印鐸神社の社名は、古代の国印と役所の蔵の鍵を表す「印鑰(いんやく)」が転化したものとする説があり、もとは播磨国府に関係する神社であった可能性が考えられています。そのため、国府に置かれていた国印と鍵を祀る「印鑰社(いんやくしゃ)」であったのではないかともいわれています。
祭神は、神功皇后・武内宿祢・大己貴命(おおなむちのみこと)でしたが、現在は、印鐸神社の下にある「神明社」に合祀されています。
由緒については詳らかではありませんが、嘉吉年間(1441~1443)にはすでに社が存在し、三野刑部によって崇祀されていたといわれています。
境内の神前には玉垣がめぐらされ、天保12年(1841)銘の手水鉢が奉納されています。また、拝殿南側には大正天皇駐蹕碑の地が残されています。
神明社(山脇)

祭神は、天照大神と豊受大神の二座でしたが、約10年ほど前に神功皇后・武内宿祢・大己貴命(おおなむちのみこと)も合祀されています。境内社に手置帆負命と柿杵嶋姫命を祀っています
境内に宝暦12年(1762)の神明鳥居があり、その奥に元禄九年(1696)の石燈籠があります。
新羅(しらぎ)神社(明田)

新羅神社は明田の氏宮で、江戸時代には「新羅明神ノ社」や「明田神社」とも呼ばれていました。祭神は、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)、帯仲津彦命(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)、品陀別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)を祀っています。
神功皇后が西征に出発する際に麻生山に登り天明を待ったことから、この一帯は「暁田(あけだ)」と呼ばれるようになったといわれています。また、帰陣後に皇后が新羅の人々にこの地を与えて開拓させたことから「明田」となったとも伝えられています(地名については三宅田から転じたとする説もあり、由来は定かではありません)。これらの新羅の人々が村の中央に社を建て、神功皇后を祀ったことが新羅神社の起こりとされています。
一方、『古跡便覧』や『巡覧図絵』には、異国である新羅の皇子をこの地に置き、後にその皇子を祀ったとする説も記されています。境内には、元禄7年(1694)の石灯籠の残欠や、嘉永元年(1848)の瓦製の狛犬が現存し、長い信仰の歴史を今に伝えています。
國王社(東阿保)

一般に国王神社と呼ばれ、参道の石碑にも国王神社となっている。
拝殿前広場には天保14年(1843)の手洗鉢があり、同広場下には、文政10年(1827)の常夜燈がある。阿保親王が、御子在原業平が播磨の国司の時、この神社に御滞在されたともいわれている。祭神は英保国主神(大国主命)である。また、拝殿正面の唐破風両側に、波の上を駆ける兎の瓦が置かれている。
遺跡
宮山古墳(坂元)兵庫県指定史跡(出土品 国宝)

古墳時代中期に築かれた直径約30mの円墳です。この古墳には3基の竪穴式石室があり、垂飾付耳飾や鉄製の武器、武具、馬具、農耕具や須恵器などの品々が副葬されていました。これらはいずれも朝鮮半島南部に由来する当時としては最先端のものでした。
また、板材を鎹でつないだ木棺が使われたり、石室内に土器を副葬するなど当時の一般的な古墳とは異なる墓制が行われていたこともわかっています。このような特徴からこの古墳の被葬者は、朝鮮半島からの渡来人か、渡来人と非常に密接な関係を持った人物であることがうかがえます。
坂元山古墳群(坂元)

宮山古墳の背後にある坂元山に所在する古墳群です。
最近の調査によって、坂元山南麓で新たに古墳がみつかりました。保存状態のよい1号墳は、南向きに開口する全長約7.8mの横穴式石室をもっています。
阿保百穴古墳群(東阿保)

仁寿山・麻生山(小富士山)北麓の谷部を中心に、6世紀から7世紀にかけての横穴式石室を持つ古墳が点在しています。「百穴」の名のとおり多数の古墳が分布しています。早くから盗掘を受け、「飾磨郡誌」には24~25基の古墳の残存が記されています。
旧「姫路市史」の2巻では18基の古墳が確認されています。それ以降に破壊されたものもありますが、平成19年の調査で32基が確認されました。見野古墳群、坂元山古墳群、火山古墳群と同様、古墳時代後期の群集墳です。豊川稲荷神社境内にある3号墳は、全長約10mの横穴式石室が露出し、祠として利用されています。
見野古墳群(見野西)

麻生山(小富士山)から延びる尾根の東側に築かれた群集墳で、現在約20基が知られています。3号墳では、発掘調査により横穴式石室内に石組壇状遺構や小型の箱式石棺がみつかっています。出土した須恵器などから、7世紀前半の古墳と考えられます。6号墳は全国的にも数少ない、一つの墳丘に2基の横穴式石室をもつ「双室墳」です。発掘調査の結果、2つの石室はほぼ同時に築かれたことがわかりました。
10号墳は玄室の天井や奥壁・側壁を一枚石で造っており、奈良の石舞台古墳を思わせるものです。石室の構造から7世紀中頃の古墳と思われ、見野古墳群のなかでも最後に造られたものとみられています。3・4・6・10号墳は平成31年3月に兵庫県指定史跡に指定されました。
本郷遺跡(本郷)
播磨国府(本町遺跡)や、山陽道の駅家に使われた「播磨国府系瓦」だけが出土することから、播磨国司の直轄で運営された瓦窯跡と考えられています。
軒丸瓦・軒平瓦のほか、賀古駅家跡(古大内遺跡)と同じ型を使ったと思われる鬼瓦も出士しています。
火山(ひのやま)古墳群(本郷)

本郷の大年神社から姫路バイパスにかけての山裾に、古墳時代後期の13基の古墳が点在しています。
中鈴山古墳

中鈴山(双子山)の尾根上に古墳時代後期(6世紀)の円墳があります。箱式石棺が確認されており、また播磨地方で唯一の横穴の可能性がある古墳です。
見野廃寺(見野東)

開墾などによって遺構が失われ、伽藍配置も不明ですが、出土瓦から 8世紀前半には建立されたと考えられる寺院跡です。かつて薬師堂(現在の見野老人会憩の家)の西隣からみつかった塔心礎が、姫路文学館の庭に移設されています。
見野長塚古墳(見野東)兵庫県指定史跡

八家川下流の平野部に築かれた前方後円墳です。早い時期に発掘され、出土品も知られていましたが、平成6年度に正式な発掘調査が行われました。
墳丘は大幅に削平されていますが、全長約 34mで、周濠が廻っていることが判明しました。埋葬施設は前方部・後円部にそれぞれ築かれた横穴式石室です。後円部の石室は基底部が残っており、鏡や馬具、装飾付須恵器、人骨などが出土しています。前方部の石室は石材が失われていますが、須恵器や馬具、玉類などがみつかりました。また、周濠からは多くの埴輪が出土しています。6世紀に築かれたこの古墳は、市川下流域では最後の前方後円墳として、兵庫県史跡に指定されました。